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神戸ホテヘル物語

今は神戸にもホテヘルがあり、最近では大阪が本拠地の大手のホテヘルも神戸に進出して来ているようですが、
僕が風俗業界で働いていた当初には、神戸にホテヘルはありませんでした…
そんな神戸にホテヘルが誕生した時のお話です

当時僕は、神戸福原の大手箱ヘルのスタッフを辞めて 知人の紹介でホテヘルの店長を暫くやったあとに
ふたたび神戸福原の箱ヘルに戻っていました。

その頃神戸の風俗事情は、 神戸イチの繁華街の三ノ宮が箱ヘルとピンサロ
神戸福原はソープ、箱ヘル、ピンサロ
そして兵庫県は広いので結構デリが多い地域です。

僕が働いていた神戸福原には当時40件以上のソープがありましたが、高級店は女の子の質は良かったですけど
大衆店の店の女の子のルックスは今と比べると格段に悪く流行ってない店に入ると
結構、見た目の厳しい女の子が在籍して居ました。
そんな中で、僕が働いていた店のグループはソープをせずに ヘルスとピンサロで女の子の質とサービスにこだわり
福原地域の中で大成功をおさめていました。

当時の神戸の風俗は、箱ヘルのレベルが高く
福原のウチのグループと
今も健在ですが三ノ宮にあるホットポイントグループが人気を二分して居ました。

そんな中で、ウチの店の新たな試みとして
【神戸にホテヘルをオーブンする】
とゆー、計画が始まりました。

そのプランを任されたのが僕の直属の上司であった副店長Aさん

Aさんは、理論的に物事を考える僕とは違い、
ノリと勢いで全てを押し切る僕の苦手なタイプで横浜育ちで語尾が『~じゃん』と違和感が気にくわなかったんですが
僕が大阪でホテヘルの店長をやっている時に
落ちかけていた箱ヘルの売上を復活させた実績のある人でした。

僕は、出戻りしてから間もなくだったので
ホテヘル進出の計画に関わる事はなかったのですが

僕がホテヘルの店長をやっていたのを知っていたので、
副店長は
『何か、あったら知恵貸してね』
と言われていたんだけど…

実際Aさん立ち上げ準備で忙しくて全然ウチの店に来ないから知恵の貸しようがなかったんですが
そのホテヘル立ち上げには様々なトラブルが起きる事になるのです。

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